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グリーン・トンネル 〜父、天野 尚とわたし〜 #02「悠々として急ぐ」

グリーン・トンネル 〜父、天野 尚とわたし〜 #02「悠々として急ぐ」

aquajournaljpアクア・ジャーナル編集部

イラスト=天野さゆり


 
関東で一人暮らしをしていた時分、東京で父と待ち合わせするのは、なんだか変な感じがした。
仕事の都合で東京へ出て来ると、父は「ご馳走してやるからよ」と言って、食事に連れて行ってくれる。せっかくだから、と必ずいい店に連れて行ってくれたのだった。

緊張感から解放された都会の夕方。仕事帰りのサラリーマンやOLたちの間から「よお」と言って現れる父が、一瞬どこか他人のようにさえ感じた。少しフォーマルな格好をしているからか、東京の景色にとけ込み、いつもの豪快さが少し薄れて見える。けれど、逆に父の放つ独特なオーラが嫌でも目立つ。私が父という人を知っているからそう見えるだけなのかな、それとも、やっぱり傍から見てもそう感じるのかな。そんなことを思いながら、父に手を振る。

父は、俗にいう「グルメな人」ではない。自分が好きな物にはとことんこだわったりする節はあるが、世間が美味しいと騒ぐものには、おそらくほとんど興味はない。外食するなら、いつものラーメン屋、定食屋、回り寿司、割とそんなところへ好んで行ったりする。しかし、特別なとき、もちろん東京で久しぶりに娘の私に会うときには、うんと美味しいものをご馳走してくれたりするのだ。銀座のとあるイタリアンレストランは、その中でも群を抜いて素晴らしかった。私たちは、どうせメニューを見てもスマートに決められないからと、前菜からデザートまで、すべてお任せにしたコースを食べていた。

美味しいワインと食事と、素敵な雰囲気は多少なりとも人を饒舌にする。私も父も、そういう機会には普段は話さないようなこともよく話す。いつもはもっぱら早食いの父が、ゆっくりと味わいながら、言葉も丁寧に選んで話してくれる。こういう時間は親子の間でも大切だな、としみじみ思ったりする。
「人生はな、悠々として急げ、だ。急ぐと言っても焦るのとは違う。焦ってはだめだ。時間は確実に流れて過ぎて行く。流されながらもタイミングとチャンスを見極めながら、大きく先を見ながら泳いで行くんだ。」それが父の座右の銘らしい。

その話を聞いたとき、私の脳裏によぎったのは、あのコブダイの顔。父が富士フィルムフォトコンテストのグランプリを取った、佐渡の海を泳ぐ大きなコブダイの記念すべき写真。幼いころから、あの額入り写真は我が家のリビングに飾ってあった。青く美しい海の中を、静かに雄大に泳いでいく、こぶのある変な顔の魚。どこでもない、どこかを見ているような目。私にとってはもう、小さなころから見続けたあのコブダイの写真だ。ふと、あのコブダイの顔こそ、私の知らない父の顔そのものであったのかもしれない、そんな風に思った。

「お父さんが海へ潜っているらしい」幼いころの私は、そんな認識だった。玄関の物置に干してあるスキューバーダイビングのスーツやボンベを見て、底知れない海へ潜る父を想像した。幼い私にとって、海の中は憧れる場所ではなく、むしろ未知で、どちらかといえば恐い世界だった。だから、あまり父に海のことを聞かなかった。むしろ、不安になるから考えないようにしていたし、父にあまり海へ潜らないで欲しかったのだと思う。リビングに飾ってあるあのコブダイの写真を見て、こんな世界に行っているのかあ、とぼんやり想像したりした。私の全く知りもしない世界に、私のお父さんは何度も何度も、潜りに行く。こんな変な顔の魚を撮るために?

「やりたいことがあるならやったらいい。それは応援してやる。その代わり、やるならちゃんとやれよ。お父さんもさ、まだ向かっているところがある。今はもう逆算して、やれるようにやっていこうと思っているけどね。」

普段はあまり甘いものを食べなかった父も、食後のドルチェまで美味しそうに食べていた。

父の座右の銘はいつから「悠々として急げ」なのだろう。人は、どんなときに座右の銘たるものをもつのか。私のそれは、まだはっきりとはない気がする。はっとする言葉、改めて気づかせてくれる言葉、心に閉まっておきたい美しい言葉。好きな言葉はたくさんあるけれど、自分がその言葉に恥じないように、その言葉と生きていける、そんな言葉を私はまだ持たない。

一流のイタリアンフルコースを食べながら、自分の座右の銘を雄弁に語る父。きっと、私にはこんな生き方はできないのだろうな、と父にご馳走になりながら思う。別れるときも変な感じだ。「気をつけて帰れよ」と言って、父はタクシーを拾い、都会の夜にひとり消えて行く。夜道を歩きながら、今まで一緒にいた人は「私のお父さん」なんだよなあ、と不思議に感じる、変なものだ。

父は、相変わらずどこかへ向かって今も悠々と急いで泳いでいるらしい。相変わらず、私は父の潜る世界は想像がつかない。けれども、こうして父と美味しくお酒を飲める今となっては、その世界を少しでも知っていきたいと思う。あのコブダイを撮った運命の一瞬。あのときの一瞬が、あのときのような一瞬が、いつも止まることなく父の目の前をびゅんびゅん走って行く。
そんな中をどんな顔で泳いでいるのか。
今度は私が、その顔を写真に収めてみよう。

 

2013年 月刊アクア・ジャーナル vol.218掲載「Green Tunnel」より

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