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グリーン・トンネル 〜父、天野 尚とわたし〜 #10「SADO」

aquajournaljpアクア・ジャーナル編集部
私が大学3回生の年、父の写真展「佐渡—海底から原始の森へ」が東京都写真美術館で開催された。父が16年かけて撮り続けた佐渡の自然風景、その集大成となる写真展、そして写真集「SADO」。
当時、関東の大学に通っていた私のもとに、父から「友達にも是非」と、何枚もの写真展のチケットとパンフレットが送られてきた。そっと、仲の良い友人数人にチケットを配ってみたところ「東京都写真美術館!」という過剰な反応が返ってきた。そうして、「さゆパパがすごい人らしい」という噂が一気に広まってしまった。私はというと、妙な気持ちだった。正直、何かを誤解されたら嫌だという思いがあった。チケットを大学で配るなんて、まるでパパ自慢ではないか。けれども、実際に写真展に行き、そんな私のくだらない子供心は消え去った。予想以上に、私はすっかりSADOに魅せられてしまったのだ。父の撮る写真は、幼い頃から見続けていたもの。良いも悪いもない。それは私にとってあまりに当たり前なものとして、そこにあった。一度そこから離れ、ぐるっと一周してまたそこへ帰ってみたら、初めて、ちゃんと自分で、その良さが分かった。天野尚が自分の父親でなくても、私はSADOに感化されていたであろう。賭けてもいい。私は純粋な気持ちで、友人たちにもこれを見てもらえて良かった、そう思った。刺激された私は、佐渡島へ行きたい! 原始杉を見てみたい! そんな想いに駆られ、早速父に頼み込んだのだった。

当時、佐渡の原生林はまだ新潟大学の管轄地区で一般には入れない場所であった。特別許可をもらっている父に引率をしてもらわないことには、あの原始杉たちを見ることはできない。父が夏休みに連れて行ってくれると言うので、どうせならと、写真展に来てくれた友人にも声をかけてみた。すると、皆が「行きたい!」と言い出した。行きたいと言いつつ、本当に来る子は少ないのだろうな、と思っていたら、ほとんどの子が本気だった。今しか得られないもの、今だからできること、それを一つも取りこぼしたくない。私も皆も、そんなエネルギーと好奇心に満ちあふれていた。最後のモラトリアムの中で、その自由を、とにかく自分にとって有意義に、どん欲に使うこと。それが私たち、大学生だった。

こうして、私は佐渡ツアーを企画することとなり、21歳の夏、十数年ぶりの佐渡島へ行くことになったのだった。はるばる私の故郷までやって来てくれた友人8名を引き連れ、ガイドは父、そしてツアーアシスタントはADAの社員さん2名。計12名の3日間の旅。我流の父をガイドにして、実のところ私はかなり不安であったが、その強烈なキャラクターとユーモアで、私たちの間に笑いは絶えなかったし、友人たちにとっては、父のすべてが興味深かったようだ。自然の中に入ると、父がどれだけ自然を見てきたのかがよく分かる。私たちに見えていないものを、父は当たり前にして見ている。父が教えてくれるすべてが、私たちには学びだった。「佐渡の自然は日本の縮図」と父は終始言っていた。海、空、山、田んぼ、草木、民家、岩山、すべてが同じ視界のうちに融合され、「ああ、日本だ」と強く郷愁を覚える何かが、そこにはある。私たちの原点となり得る場所。父がこの地を選んで撮り続けてきたことにも、すっと納得できる気がした。そして何より、この地には、父を魅了し続ける守り主がいる。千年生き続ける杉たちだ。私たちは、その原生林に遂に足を踏み入れた。数時間、山の道をかき分けながら歩き、やっと会うことができた杉たち。父の写真から私が感じていたのは力強い生命力、躍動感、存在感だった。けれども、実際に私が感じたのは、そこに佇んでいる杉たちの静けさと、すべてを受け入れているかのような優しさだった。決して自分の存在感を主張しない。むしろ山の中にとけ込み、含まれていることで自分の個性を育んでいた。とんでもない方向へ枝を伸ばしたり、大きなこぶをつけたり、隣りの杉と連結していたり。その個性はあるべくしてあり、生きている。杉が私たちに与えてくれるものは、私たちが感じる中にだけあった。それは、私たち一人一人の中に委ねられている。杉はただそこにいて、その姿を見せてくれる。偉大なる者たち。杉だけでない、自然はきっと、すべてそうなのだ。そんな杉の存在を守りたい。その想いから、杉を撮り続けている、そう父は話してくれた。ツアーの終わりに天野尚が私たち若者に向けて残してくれたのは課題だった。

「誰も知らない自然は、ある日、ある瞬間、誰にも知られないうちに突然なくなる。犠牲になる。たとえ千年生きているものでも。それが今まで実際にこの世界中で起ってきたこと。これから、人間のいるこの世界で杉たちが生きていくためにはまず存在を知ってもらうことだった。なくしてはならない。君たちには、人間がどう自然と共存していけるかを常に考え続けていてほしい」
5年後、この原生林には木道が設置され、杉たちは一般公開されることになった。父の真意は形となり、偉大なる者たちを守る道となった。そして、課題を出された若者たちは、今、さまざまなフィールドで生きている。今でも集まれば、佐渡の話になり、あの夏に共有したすべてのものが私たちにまだ息づいている。「さゆパパ、相変わらずすごいらしいね」という話にもなり、皆で父の話で盛り上がったりもする。自分にとって大切な人同士が引き合い、そこから、かけがえのない何かが生まれたとき、そのドラマはきっと、あの杉たちが教えてくれたような優しさと永遠性を含んでいる。あの夏から始まった私たちのドラマは、これからもずっと続いていく。

 

2014年 月刊アクア・ジャーナル vol.226掲載「Green Tunnel」より

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