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Amano考 -ガラスの中の大自然- 第2回「心を育む環境」

aquajournaljpアクア・ジャーナル編集部
Amano考では、1992年に出版された天野尚 水草レイアウト作品集『ガラスの中の大自然』で天野が綴ったエッセイを再掲載しています。ネイチャーアクアリウム作品のバックボーンとなる天野尚ならではの自然観や経験に触れることができます。
左/日本海に面した村の民家を描いた淡彩画。 ひなびた風情が感じられる景観を天野は好んだ。

“心を育む環境”


下手の横好きという格言があるが、私の描く風景画も多分そのたぐいだろう。絵を描くよりも恥をかくほうが多いので、今はもっぱら写真だが、そんな私が最も好んで描いたのが淡彩画タッチの風景画である。特に山里の村々に点在する茅葺屋根の民家や、荒れすさぶ日本海に面する漁村や船小屋だった。だが近年はこうした絵のモチーフとなるような民家が少なくなり、たまにあってもオールサッシの戸であったり恐ろしく手入れの行きとどいた趣味の悪い庭があったりで、描こうにもその題材が無くなってしまったのである。

15年前、最初にアフリカを訪れた時、住民の住まいはもとより、観光客用ロッジやペンションもすべて周りの風景に溶け込み違和感を感じさせなかった。また地中海に浮かぶある島では毎年、家を白く塗りかえねばならないという条例があるし、外国のいたるところにこのような例があると聞く。これらは、最も精神文化が高い国の人々が作った法律で絶賛に値する。 私は各地の自然風景に接しながら気づいたことがある。これは私の偏った物の見方かも知れないので一言ことわっておくが、風光明媚な土地に住む人は素朴で心も美しい。しかし開発が進み土地が荒れてくると、人の心も荒んでくる。だから、私たちが何げなく見ている身近な風景こそ、美しくなければならないと思っている。

先の条例ではないが、一軒に一本の植樹(大きくなる種)を義務づけたらどうだろうか。たとえば家を一軒建てるには、大樹となる木を植えなければならないので、それ用の土地をまず確保しなければならない。さらに市町村の条例によってある町はアンズの木を植える、ある町はケヤキ、ある町はイチョウというように植える木を決めてしまう。考えただけでも楽しくなるばかりか、こうすれば見苦しい民家や看板などが木々に隠されてしまう。そして未来には人々の住む地域が緑の大木で埋まるはずである。アクアリストもまた、水槽に魚が増すごとに数本の水草を植えればいい。もちろん魚の大きさによっても左右されるであろうが、小型カラシンであれば、ハイグロやロターラなどの有茎草を数本植えれば、水の浄化作用に十分役立つだろう。動物と植物が1つの生物的な平衡のもとで生活してこそ、小さな生態系がいつまでも保たれるのである。

 

1992年出版 天野 尚 水草レイアウト作品集『ガラスの中の大自然』 (マリン企画)より

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