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Amano考 —ガラスの中の大自然— 第8回「母のノート、私のノート」

aquajournaljpアクア・ジャーナル編集部
Amano考では、1992年に出版された天野尚 水草レイアウト作品集『ガラスの中の大自然』で天野が綴ったエッセイを再掲載しています。ネイチャーアクアリウム作品のバックボーンとなる天野尚ならではの自然観や経験に触れることができます。

「母のノート、私のノート」


私の母は脳血栓のため62才で亡くなった。何の趣味も持たず働きづめの人生であったが、唯一、畑で農作物を作るのが楽しみだったようだ。ナスやトマトが良くできたと自慢していたが、確かに他の畑に比べ良く育っているのが子供の目にも分かった。昔のことなので、女学校に通うわけでもなく塾に通ったわけでもないのだが、毎日畑の野菜を観察しぶ厚い大学ノートに記録していた。

子供の頃、日照りが続いたり雨の日ばかり続くと、決まって農作物に病気が出たり、果実が実らないなどの被害が出た。そんな時でも我が家の畑は出来が良かった。隣家の人たちは、いつも母にその極意を聞きに来るのだが、皆あてがはずれて帰って行く。結局、畑をうまく作るコツを教えても、聞く側がそこまで知らないと何も理解できずに終わってしまう。最も肝心な事は、ほんの一握りのノウハウでしかないのだろうし、誰もが知っていて気付かずにいるような単純なことが、実は最も重要なノウハウであった、などという事はよくある話だ。 私も後年、水草の栽培で自分なりに研究し、ある程度の極意を摑んだつもりだが、こちらの思うことを100%相手に伝えることは不可能に近い。科学的な理論に基づくノウハウは90%教えることができる。ところが残りの10%は、長い間の経験に基づくもので、その場その場で変わる条件を、自分の体得した勘で決定することになるからだ。よく使う勘どころという言葉がそれになる。これらは長い間の経験の集約で、大なり小なり皆が持っているものである。

私も完全な水草水槽を目指して長い歳月を過したが、今だ失敗の連続である。さすがに水草を枯らすことはなくなったが、換水量を誤ったり、炭酸ガスを入れ過ぎて一夜のうちに魚やエビが全滅という憂き目を何度か経験している。 最近お客様にお誉めの言葉をいただくと、こうお答えする。「今このように水草が美しく育っていますが、私ほど同じ失敗を繰り返す人間もいないと思います。普通の人は1回失敗すれば2度同じ失敗を繰り返す人はいないと思いますが、私にはそれができないのです。今になってみると、それも懐かしい思い出ですが、1つだけ良かったと思うことは、全てをノートに記録していたことです。同じことをいろいろなパターンで失敗したおかげで、それらが皆いい経験となり、それと同数の応用を覚えることができました。今思えば可哀想なくらい水草を枯らしてしまいましたが、それらは皆、私の心の中で生きているのですから許してもらえると思います」と。

最近私は亡くなった母と同じことをしている偶然に驚いている、大学ノートに綴った記録は母を真似たわけでもないのだが……。

 

1992年出版 天野 尚 水草レイアウト作品集『ガラスの中の大自然』 (マリン企画)より

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