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グリーン・トンネル 〜父、天野 尚とわたし〜 #03「お父さん、あのね」

グリーン・トンネル 〜父、天野 尚とわたし〜 #03「お父さん、あのね」

aquajournaljpアクア・ジャーナル編集部
「お母さん、あのね プールにはいったよ」
その横にはクレヨンかクーピーで描かれた、女の子がスクール水着らしきものを着て水の中に入っている挿絵がついている。これは、小学校一年生の国語の課題。学校での出来事を、家族に知らせてみよう、というなんとも可愛らしいものだ。私は迷わず、「お母さん、あのね」であった。何枚かの「お母さん、あのね」を母は大切にファイルに収めてくれている。今でもそれを見ると、懐かしく、どこか温かい気持ちになれる。しかし、そこには一枚も「お父さん、あのね」はない。もしかしたら、こんな一枚があってもよかったのかもしれない。
「お父さん、あのね 先生にお父さんのお店をほめられたよ」

 
 

一年生のときの担任N先生。背が高くひょろっとしていて、縁の細い眼鏡をかけていた。今思うとかなり度の強い眼鏡をかけていたのだろう、眼鏡の奥に見える眼はなんでも見透かしてしまうような独特な印象だった。じっと見つめられると不思議な気分になり、そわそわした。大きな声で、はっきり、ゆっくりと話し(きっと一年生の担任だったからかもしれない)、感情表現も豊かであった。大きな口でぱっと笑う。当時は30歳前後であったのだろうか、年齢は定かでない。どこか、まとっている空気が軽く、風のような人、そんな印象で私の記憶には残っている。

小学校の低学年のころ、母が心配になる程、私は大人しく無口な女の子であった。目立つことはもってのほか、みんなに注目されることも好きではなかった。ある日の帰りの会。N先生は、みんなの前で「先生は昨日、さゆりさんのお父さんのお店に行きました。とっても奇麗な水槽やお魚に感動しました。みんなも是非行ってみて下さい」と大きな声で言った。みんなが、ばっと私の方を見た。私は顔が真っ赤になって、下を向いた。

まだADAの本社が創設される前のころである。当時、父は数人の従業員とともに小さなショップを地元に構え、それがADAの本拠地であった。一匹の大きな魚の絵が、外壁に描かれた、田舎の真ん中では一風変わった店。目立ちたくない私と、嫌でも目立つ事をする父。そんな父のショップにN先生がときたま来ていることは母や父から聞いて知っていた。先生は、ネイチャーアクアリウムが好きな一人の青年として、父の店に通っていた。みんなの知らない先生の一面。他の子には持てない境遇に少しだけ優越感のようなものを感じていた気がする。

ある日の下校途中、こんなことが起った。私は数人の近所に住む女の子と下校しており、その途中で同じ一年生の男の子と女の子が二人で仲良さそうに歩いているのを見かけた。「女と男で帰るなんて変なの!結婚しちゃえ!」と言って友達はその子たちをからかい始めた。しつこいようだけれど、私はとても大人しい子で、そんなことはとてもじゃないけれど言えなかった。けれど、友達がその二人が泣くまでからかい、走って逃げるのに一緒になっていた。

数日後、それは忘れもしない薄暗い雨の日。体育の時間にそっとN先生に呼ばれた。私たち女の子四人は、誰もいない、机が静かに並ぶ教室でN先生にしかられた。
「先生はこの間見てしまったのだけれど」と言って始まった。先生は見たのではなく、きっとあの子たちが言いつけたのだろう。けれど、そんなことはどうでも良かった。私は、今度こそ、本当に恥ずかしくなった。それと同時に、先生を感動させた父のアクアリウムが、きっと私のせいで消えてしまうだろう、そう思って悲しくなった。「自分がされて嫌なことは、絶対に他の子にもしてはいけません」先生は不思議な眼で真っ直ぐ私たちを見つめて言った。私はこのとき、深く反省し、この言葉を幼いながらも経験として学んだ。他の女の子も私も泣いていた。体育の授業から帰って来た皆が、不思議そうに私たちを見ていた。先生は「よし、じゃあちゃんと二人に謝るんだよ」と最後は優しく言った。

それから、私は父に申し訳ない思いでいっぱいになった。N先生が私にがっかりして、もうショップに来てくれなくなったら……お父さんが、大人しい娘が実は学校でそんなことをしていたとN先生から聞いたら……しかし、そんなことは全くなかった。父はそんな出来事は今の今まで知らなかっただろうし、相変わらずN先生はショップへ通って来た。私を見る度に「さゆりさんのお家の大きな水槽を早く見てみたいなあ」なんて言っていた。当時の家の応接間にも大きな水槽があり、先生はそのことを知っていた。もちろん、その後先生は父に連れられ、本当に我が家に水槽を見にやって来たのだった。

そしてそれだけでなく、N先生の熱望で学校の玄関に水槽を置くことになり、父が寄付することとなった。学校に、父のネイチャーアクアリウムがやって来たのである。もちろん、メンテナンスをするのはN先生。先生が担任をしてくれたのはその一年だけだったけれど、ひとりで黙々と水槽の管理をしている姿を何度も見かけた。学校で他の子たちが水槽を見ていると、私はどこか誇らしく感じたのだった。

風の便りで、先生は数年後に教師を辞め、南米へ渡り協力隊のような仕事をしていると聞いた。
「自分がされて嫌なことは、絶対に他の子にもしてはいけません」人生において大切なことを、きちんと教えてくれた先生。ネイチャーアクアリウムが大好きだった先生。お父さんを誇りに思わせてくれた先生。
「お父さん、あのね 私はとても素敵な先生に出逢うことができました」

 

2013年 月刊アクア・ジャーナル vol.219掲載「Green Tunnel」より

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