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グリーン・トンネル 〜父、天野 尚とわたし〜 #11「伝説のそば屋」

aquajournaljpアクア・ジャーナル編集部
「恵(めぐみ)が恋しいね」父はときどき口にする。これは、父のかつての恋人でも、生き別れた妹でも、昔飼っていた犬の名前でもない。これは、あるそば屋の名前だ。しかし、残念ながら今はもうこのそば屋はない。後にも先にも、父が通いつめるほど惚れ込む店はあの「恵」だけであろう。
「田んぼの真ん中によ、がっと(とても)美味いそば屋があるっけ、行ってみれ」と叔父に言われた父。父の兄である叔父は、さすが同じ母親の味で育っただけあって父とは食の趣味が合う。どれどれ、と父はさっそく試しに行ってみることにした。我が家から車で15分程走ったところに、そのそば屋はあった。田んぼの真ん中にぽつんと建った、一見そば屋に見えない店構え。民家の玄関先にシンプルなのれんが掛かっている。それが唯一、そこが何かの店だということを表している。もし、その店に対して何の情報も持ち得なければ、とてもじゃないけれど入ってみようという気にはなれない。しかし逆に、そこまで控えめな店構えだということは、よほど自信があるのかもしれない。

店の中に入るとそこには無愛想な店主が一人カウンターの向こうに立っていた。年齢は70歳前後。客が入って来てもにこりともしない。店の中は、5人程座れる小さなカウンター席と、4人用の上がり席が2つ。カウンターの奥に置かれたテレビはNHKの日曜のど自慢にチャンネルが合わせられていた。他に客はいない。父はもちろんカウンター席に座る。この店のメニューはとてもシンプルだ。「もりそば」「ざるそば」「おろしそば」「めかぶそば」そして「にしん」この5つしかない。「おろしそばを大盛り」と迷わず注文する父。すると店主は「うちは大盛りしてないのですわ。一人前食べたら、もう一度注文してくれね。」と詫びもなしに、ぴしゃりと返した。サービス精神はないのだろうか、と正直思ったがまずは食べてみなければ何も言えないだろう。ここは彼のルールがすべてであって、それは客によって揺るがない。安売りのサービスはしない。まあ、こだわりが強いということは美味い店の証拠だ。そう思い、黙ってそばを待った。「はい」と父の前に出されたその「おろしそば」。もちろん、店主の口から「お待たせしました」はない。

どれどれ、と一口食べたその瞬間、父の中で何かが切り開いた。いや、何かが完結されたと言ったほうが良いのかもしれない。父は特にそばが好物だという訳でもなかった。けれども、全国的に有名だと言われるそばは何度か食べてきたし、それなりにそばに対する舌は肥えているはずであった。けれども、その恵のそばを食べた瞬間、父の中でそばは完結した。これこそ、自分にとって最高の、完璧なそばだ。突如として、父は衝撃的な出逢いを果たしたのだった。自分にとって完璧なものが、実はほんの目と鼻の先に存在していた。

その衝撃的な出逢いを果たしてから、父は恵に通い始めた。週末になると母を連れ立って恵のそばを食べに行く。これが恒例になっていた。知人を接待して恵に連れて行くと、皆その美味しさに感動した。その噂を聞いていた私も、帰省すると必ず一度は恵のそばを食べに行くようになった。そば粉十割で打ってあるというのにコシがあり、つるっとしていて、のどごしが良く1本1本に存在感がある。もちろん、つゆの味も良い。そしてよく冷えている。大根おろしも、鼻がツンとするほど辛みが効いている。それは、文句の付けようも無い美味しいそばであった。ひとつ気になるところと言えば、店主の愛想の無さであったが、私たちが常連客となると、少しではあるが世間話のようなこともしてくれるようになった。あまりに美味しいそばなので、そばに関する質問をしようとしても、はぐらかされたり、下手なことを言えば、やはりぴしゃりと言い返されたりした。ときに父は「二度と行くものか!」と思うほど、店主の態度に腹が立つこともあった。それでも、やはりあのそばを食べられなくなるほうが辛い。そして店主は否応無しに態度が悪いのではない。こだわりが強いが故にそれに対するプライドがものすごく高いのだ。それが分かるからこそ、どこか憎めなかった。そんな店主の姿に慣れていくと、いつしかその店主のキャラクターをもひっくるめた恵が好きになっていた。しかし、あんなに美味しいそばだというのに、週末のお昼時でもいつも客がまばらなのは不思議であった。「味は一流なのに、売り出す意欲がないからだろう。しかもあの愛想の無さでは常連客も付きにくいだろうなあ。もったいないなあ」と父はしきりに言っていた。

そうしたある日、「実は、店を閉めることにしたんですわ。もう歳だからね」と店主が言い出した。恵の営業最終日、私たちはもちろん最後のそばを食べに行った。最後の日は、何人かの常連さんで席が埋まっていた。私たちは、いつものようにNHKのど自慢を見ながら、いつものおろしそばを食べた。店主とは特別大した言葉を交わさなかったと思う。いつものように「美味しかったです。ごちそうさまでした」そう最後に言って、恵を去った。

店主は一度、私たちにこんなことを言っていた。「お客さんが食べて幸せにならないそばは意味が無い」私たちは知っている。どんなに無愛想でも、彼のそばが何より彼だった。ごまかしが無く、率直で、けれども繊細さがあり、洗練されている。それが、恵のそばだ。どんなものでも、きっと、作り手の信念とともに生まれたものは誰かの、なにかのために、きちんとたどり着く場所があるのではないだろうか。そうして、そういうものはどんな形であれ受け継がれていくのであろう。恵の店主は、未だに自分が天野家の話の種とされているとは知る由もない。「恵が恋しいね」私たちはずっとそう言い続けるのだろう。恵はまぎれもなく、私たちにとって伝説のそば屋だ。

 

2014年 月刊アクア・ジャーナル vol.227掲載「Green Tunnel」より

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