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Amano考 -ガラスの中の大自然- 第5回「良寛様の心と世界」

aquajournaljpアクア・ジャーナル編集部
Amano考では、1992年に出版された天野尚 水草レイアウト作品集『ガラスの中の大自然』で天野が綴ったエッセイを再掲載しています。ネイチャーアクアリウム作品のバックボーンとなる天野尚ならではの自然観や経験に触れることができます。
編集部注:雪割草は平成20年3月1日に「県の草花」に指定。


「良寛様の心と世界」


江戸時代の名僧良寛様は、自然をこよなく愛し人間として秀逸な方であると現代においてもその人柄を偲ぶ人が多い。子どもの頃教わった私たちの良寛像は、スミレの花をこよなく愛し和歌を詠み手毬つきつつ子供らと遊ぶ人間味豊かな僧の姿である。春を今か今かと待ちわびた良寛様は、雪解けと共に山野を歩かれたことだろう。

この季節、良寛様の詠まれた歌に菫草(スミレ草)がよく出てくる。たとえば、〝菫草さきたる野べに宿りせむわが衣手に染まば染むとも〟ところで、この歌の冒頭などに出てくる菫草を新潟青陵女子短大の長島義介教授が、本当は雪割草であるとの新説を唱えられた。筆者は先生の説を詳しくお聞きし、間違いなくそれは雪割草であったろうと確信している。先生の言葉を借りれば「雪国に分布し、世界で最も美しく、冬の厳しさに耐え、春には色とりどりに明るく咲き乱れる雪割草こそ雪国を代表する花である」と結んでおられる。この雪割草は花を待ちわびる雪国の代表的な山野草であり、新潟を代表する花である。

ところが新潟の県花はチューリップであり、この両花、花が付く時季もほとんど同じ雪解の頃である。長い長い雪国の冬が終わり、春めいてくると、新潟の砂丘には色とりどりのチューリップが咲き乱れる。赤、紫、白、黄、黒、なだらかな丘陵にところ狭しと咲くチューリップは、色彩的に見ても色の洪水といった感がある。春の青空にそれら原色の花々が映えた風景は、雪国新潟の美しい風物詩であるが、そこに風車でもあればチューリップの故郷オランダと何ら変わりがあるまいと思うことがある。外国の花を県花にしたことに異議を唱える訳ではないが、ただアクアの世界でいうオランダ流ダッチアクアリウムがチューリップの風景を原点とするならば、さしずめ私の提唱するネイチャーアクアリウムは〝野辺に咲く雪割草の世界であり、良寛様が詠まれた歌の数々が原点である〟と思っている。多少こじつけかもしれないが、私はそこにオランダ流と日本流の相違を見出していた。

欧米人は色彩的な集合美などを庭園や花壇などに用い、そのままアクアリウムの植栽術に用いている。ところがわが国の自然美は自然の風景の中からとらえるところから始まっており、これはいわば日本人独自の自然感である。佗び寂びの世界は庭園や盆栽の世界にとどまらず茶や生花など礼儀作法の世界から茶器にいたるまで、生活様式の隅々に入り込んだ自然思想である。これらは日本人が世界の民族に誇れる文化であると言いたい。そして写真に見る水景も、広大な自然を枕に生きた良寛様の歌を感じつつ作った作品である。

 

1992年出版 天野 尚 水草レイアウト作品集『ガラスの中の大自然』 (マリン企画)より

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