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Amano考 -ガラスの中の大自然- 第3回「5本の炭酸水」

aquajournaljpアクア・ジャーナル編集部
Amano考では、1992年に出版された天野尚 水草レイアウト作品集『ガラスの中の大自然』で天野が綴ったエッセイを再掲載しています。ネイチャーアクアリウム作品のバックボーンとなる天野尚ならではの自然観や経験に触れることができます。

「5本の炭酸水」


本格的に水草を育て美しい水景を作ってみようと考えたのは、昭和52年頃だったように記憶している。当時は二酸化炭素もパワーフィルターもなく、それらしい器具さえなかった。だから最初のセッティングは考えただけでもひどいものだった。細かな硅砂(サンゴ砂を含んだ砂)を7cm程敷き、底面ろ過でエアーレーションによる強烈な曝気をした。しかも魚を入れると苔の原因になると思い水槽内は水草だけである。照明だけは60cm水槽に20Wを2灯付けたが1週間もすると葉がみな黄緑色になり、2週間目には葉が透けるようになった。水草を栽培する書物など皆無の時代である。暗中模索で行なっていく他、手立てはなかった。 そして古い水槽は比較的水草は育つが、新しい水槽は何をしてもダメだというのに気づく。何が原因だろうと思っているうちに、酸素とは逆に必要なのは二酸化炭素ではなかろうかと気づき、恩師である新潟青陵女子短期大学の長島義介教授に、水槽内での二酸化炭素添加方法を相談した。ところが先生は「空気中の0.03%の二酸化炭素があれば十分で、水槽内にそれが溶け込むはずであるから、あえて強制的に添加する必要はない」とおっしゃる。「どうしても必要なら私の懇意の医療機器メーカーを紹介しましょう」ということで、そのメーカーと二酸化炭素を水槽内に添加する方法を相談しながら見積を取ってもらったが、今考えてもバカ高いしろものだった。これがもし安価であったなら、水草水槽の完成がずっと早まったであろうと思うと残念でならない。

当時の私にとって二酸化炭素は海のものとも山のものともつかないしろもので高価なものを実験に使うほど経済力もなかった。ドライアイスなどは安くて経済的ではあったが、取り扱いが不便なことと気化して短時間になくなるので実用化はしなかった。 そうこうしているうちに面倒くさくなり、二酸化炭素のことは忘れかけていた。水草水槽も一進一退で、枯れることはなくなったが元気に新芽を吹くという状態には、ほど遠かった。

ある夜、友人と行ったスナックで透明なビン入りの炭酸水が目に入った。何げなく手に取って見ると〝水、二酸化炭素、塩化ナトリウム1%〟と表示してあった。塩化ナトリウムはちょっと気がかりであったが、水草が二酸化炭素を必要とするか実験するにはかっこうの材料である。とりあえず5本の炭酸水を分けてもらい持ち帰った。実験水槽は240×60×60(cm)と大きい。酔った勢いで5本の炭酸水を注ぎ入れた。するとどうだろう、ものの5分もしないうちに葉の表面から小さな気泡が立ち始めた、やはり二酸化炭素は必要だったのだ。

それから炭酸水を入れるたびに水草が育っていくのが目に見えて分かった。ただ塩化ナトリウムが1%あるため入れ過ぎには注意を要したし、換水も1週間に1度は必ず行なった。当時、私の部屋は炭酸水のビンが山積されていた。あの時あの炭酸水を見い出さなければ、挫折につぐ挫折の中で水草水槽の制作を断念していたに違いない。

1992年出版 天野 尚 水草レイアウト作品集『ガラスの中の大自然』 (マリン企画)より

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